どんな人間関係にも適切な距離というものがある
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人間関係が壊れる原因を一言で言うと、
お互いの「距離を縮めすぎたから」である。
距離が遠ければ、そもそもやり取りすること自体が少ないため、
距離が遠いことで人間関係が壊れることなどまずないのだ。
せいぜい冷める程度であろう。
問題なのは距離を近づけすぎた場合である。
まず距離が近いと、やり取りする頻度が増える。ゆえに量が増える。
そして一つ一つのやり取りする内容が、相手に強く伝わるようになる。
要するに、距離に反比例して、頻度と影響度が増すのである。
頻度と影響度が増すということは、
相手との相性が良ければ、相手を好きになりやすいということであり、
相手との相性が悪ければ、相手を嫌いになりやすいということである。
つまり、距離が近くなればなるほどリスクが高くなるということである。
例えば、「相手より自分の方が上」だと思っている人は、
コミュニケーションの仕方もそれであるため、
相手との距離が近づけば近づくほど、その性質が会話に出てしまうのだ。
まだ距離があった頃はそのような感じはしなくとも、
近づけば近づくほど、自分が上で相手は下とする言動が目立ち、
会えば会うほど嫌気がさし、徐々に関係が悪化していくのだ。
それにより、ちょっとしたことでも感情が表に出るようになる。
感情的になった場合は、一旦、距離を空ければ冷静になれる。
距離さえ空けてしまえば、頻度と影響度が下がるためだ。
冷静になれば、お互い、再び近づこうとするわけだが、
距離が近づけば頻度と影響度が上がり、やはり喧嘩になってしまい、
また距離を置こうとする。後はこの繰り返しである。
何度かこのやり取りをしていればやがて人間関係は壊れることになる。
そして、一度壊れた関係は二度と修復できない(と思った方がよい)。
こういった例は他にもいろいろある。例えば、
恋愛関係であるが、恋人も最初は魅力的に映るものである。しかし、
距離が近づけば近づくほどダメなところが目につくようになるのだ。
はたまた親子関係でも、距離が近くても最初は問題ない。
しかし、親の知らないところで子供は成長しているわけであり、
親が距離を縮めすぎたままだと、そのうち子供から反抗される。
「距離が近いから離れろ!」というのが反抗期の反抗である。
自分はこれくらいできるから、いちいち口を出すなということなのだ。
「距離は縮めた方が良い!」と思っている人も多いが、
あまり距離を近づけすぎると人間関係は崩壊するのだ。なぜなら、
心には慣性があり、コミュニケーションにも影響が現れるためである。
傲慢な人は傲慢な会話になり、謙虚な人は謙虚な会話になるのだ。
会話も力Fのやり取りである。話し手から聞き手に力Fがかかるのだ。
よって聞き手は変化F/mを受ける。つまり心の質量mの小さい人ほど、
相手の影響を受けてしまう。新人や初心者の周りに教え魔が群がるのも
このためである。だが力Fの方向が聞き手の望まない方向だった場合は、
聞き手は心の慣性の軌道修正のために無駄な労力Fを要することになる。
と小難しく説明したが、言いたいことは、
「自分が気持ち良くなって喋っているときは、
相手はそれだけ気持ち悪い思いをしているのだから、
話をするときは距離感に注意しよう!」
ということである。
上司や親が部下や子供に、気持ちよく説教すると、いつの間にか
部下や子供の心は離れ、そして他人になってしまうのである。
その説教、人間関係を失ってまでしなければならない説教ですか?
あえて無関心になることも必要なのだ。
まとめると、どんな人間関係にも適切な距離
というものがあるということである。この距離は、
需要(喋りたい)と供給(聞きたい)のバランスによって決まる。
聞きたくもない話をする人はただただ迷惑なのだ。
関係を長く保とうと思えば、距離を適切に保つことだ大切である。
それでも気持ちよく説教する人が後を絶たないのはなぜだろうか。
自分が嫌われるなどということは想像すらしないのか。何にせよ、
どうでもいい人の聞きたくもない説教など「汚物」に等しいのだ。