過去の行いによる呪縛
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仏教の「自業自得」という考え方は、
自分の業(努力)が自分の得るもの(未来)になるという考えであり、
努力した方向に向かって未来が作られていくということを意味している。
ただし、ここで注意が必要であるが、
決して、現在の延長線上に未来があるわけではない。
現在ではなく、過去の延長線上に未来が作られていくのだ。
一見、おかしな考え方に思える。
「いやいや、過去があって、現在があって、未来があるんでしょ?」
と思うかもしれない。しかし違う。
過去があって現在があって未来があるというのはあくまで時間軸である。
原因(業)と結果(得)の関係で考えれば、
「現在があって、これが過去となり、そして未来となる」のだ。
考えてみれば簡単な話である。今まで積み重ねてきたものがあれば、
今になって少しの努力をした程度で未来が変わるわけがない。
そう簡単に自分を、自分の未来を変えることはできないのだ。
現在の自分ができることは、せいぜい、
過去の自分に何かを付け足すことくらいである。
これは運動方程式で考えると分かりやすい。
すでに慣性に任せて進んでいる自分の心mがあり、
この自分の心mに対して力Fをかけ、慣性の一部を変えたとき、
未来の自分が得るものは、変化した結果の最終的な慣性となる。
※力Fの反作用-Fによって心mに変化aが生じ、ゆえに慣性が変わる。
もし元の慣性が大きいならば、ちょっとやそっと力をかけたところで、
慣性は何一つ変わらないため、努力しても未来は変わらないことになる。
慣性の大きさとは、積み重ねてきた過去の大きさである。それにより
質量mと速度vが増し運動量m×vが増え、自分を変えにくくなるのだ。
過去があるにも関わらず、それを否定して、
一時の努力で未来を簡単に変えることは不可能である。
自分がやったことは消えないのだ。
それでも未来を変えたければ、過去を覆すだけの力が必要になる。
ただ、この「自分を変えにくくなるという慣性」は、悪い性質ではない。
かと言って、良い性質というわけでもない。ただ単に真理なだけである。
成長に伴い質量mが増し、かつ、努力すればするほど力Fが加えられ
心の速度vが増し、自分を変えにくくなるという、ただの真理なのだ。
善い行いをすれば善い慣性が宿り、善い状態から抜けられなくなる。
逆に悪い行いをすれば悪い慣性が宿り、悪い状態から抜けられなくなる。
この真理を踏まえ、どのように生きるか決めればよい。
そうであれば、よりよい慣性が得られるよう努力すればいいだけの話で、
日々日頃より自業を意識して生きることが幸せにつながるのだ。
【補足】
ところどころ「心mに力Fをかける」というように表現しているが、実際
は、力Fをかけることで反作用-Fが生じ、これが心mに影響するのだ。
つまり、直接、心を変化させることはできない。例えば、何かを思考
したとき、力Fにより計算や想像が成される。そしてこの瞬間、同時に
反作用-Fも発生し、こちらが心mに影響し変化aを生じさせているのだ。