心における「圧力」と「上と下」
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圧力pは容積Vと内容物mの比率によって決まる。
容積Vが少なく内容物mが多ければ圧力pは高く、
容積Vが多く内容物mが少なければ圧力pは低い。
つまり圧力pは、容積Vに反比例し、内容物mに比例する。
※ここでは温度tは無視する。および、容積という言い方を採用する。
そして、内容物は圧力の高い方から低い方へ移動しようとする。
例えば、電流は高電圧から低電圧へ流れようとする。
また、水流も高水圧から低水圧へ流れようとする。
圧力に差があればそこに流れが発生するのである。
同様に、人の心の場合は、
心の容積Vに対する知識の量mkと感情の量mfが圧力pとなる。
圧力pが高ければ内から外へ情報mkや感情mfが発信されやすくなる。
特に自分の圧力が高く相手の圧力が低いとき、
自分から相手へ知識や感情が流れやすくなる。
「間違ったことを述べている無知な人がいれば、
正しい主張をして相手の考えを改めさせたい!」
と苛立ちを覚えるのはこの現象である。
「相手のため」と言いながらいろいろと世話を焼こうとするのも、所詮、
相手に無関心になることもできない女々しい心ゆえの現象なのだ。
もし、自分と相手で思考力や知識量が同程度であれば、
自分と相手で圧力の差は少ないため知識や感情の流入・流出はない。
しかしもし、自分と相手で差があれば、それが圧力の差となり、
圧力の大きい方から小さい方へ、知識や感情が流れるのだ。
概ね経験者(上司や親)から未経験者(部下や子供)へ流れる。
また、圧力と温度の関係から、圧力pが高いと温度tも高くなりやすい。
思考力や知識量が多い人は温度も高い傾向にある。対して、
教えてくんや批判するだけの人は、人からどんどん熱意を奪い取り、
周囲の温度を低下させる。もし組織がそういう人を放置してしまうと、
やがて組織内が熱平衡し、生ぬるい組織となってしまうのだ。
圧力や温度のみならず、基本的にものは、
高いところから低いところへ流れる。というよりも、
何かが流れたとき、流れの元を「上」、流れる先を「下」と言う。
例えばお金は、お客様から業者へ支払われる。
よってお金に着目すると、お客様が上で業者が下になるのだ。
もしサービスに希少性があれば、お客様より業者が上になることもある。
お金に重きを置くならお客様が上、サービスならば業者が上になる。
同様に、会社の上下関係は指示、学校の上下関係は知識である。
そして本来、上下関係は、流れているものが失せれば、その時点で
上下関係も無くなるのが妥当であるが、一度でも上下関係となれば
半永久的に上下関係が継続すると思い違いをしている人が多い。
最後に、お金や指示などではなく、自分にとって本当に上の人、
というのがあり、自分が進んでいる方向の先にいる人を指す。なぜなら、
その人のアドバイスは自分にとって無条件でありがたいからである。
その方向と反対に位置する人を自分からして人として下と定義する。
よって、上の人や下の人というのは、人によって違うのだ。
にも関わらず、「あの人は私にとって上の人だから、
あなたもあの人を上にするといいですよ~」と押し付けてくるのは、
信仰の強要に近い。そういう人の心理は、「あの人が上なら、
あなたよりあの人に近い私は、あなたより上」としたいだけの、
幼稚な行為なのだ。