人類の進歩、そして宗教



  • 「世界にはなぜこんなに宗教があるの?」
    と疑問に思ったことはないだろうか?
    科学はまとまり、宗教はまとまっていないように見える。だがしかし、
    科学と違って宗教は真理探究が主ではないため、まとまる必要はない。

    そして宗教や宗派は、考え方や表現の違いでしかない。
    周囲が厳しい環境であれば厳しい教えとなり、
    周囲が優しい環境であれば優しい教えとなる
    のである。
    例えば、農民は優しい浄土宗や浄土真宗を好み、
    商人は力強い日蓮宗を好み、武士に至っては曹洞宗を好んだ。

    昔は、今と違い、生まれで評価され、人生が決まっていた。
    生まれで差別することで有名な宗教がバラモン教でカースト制度である。
    昔は今のように情報技術もなく、家単位の管理しかできなかったのだ。
    そんな中、人の価値は生まれで決まるものではないと提唱したのが
    仏教である。この当時の仏教は、自分の幸福の追求を主としていた。

    「二度と生まれ変わりたくない、だからどうする?」
    これが仏教の考えの根源であり、菩提心を頼りに仏を定義したのだ。
    そして、輪廻を解脱し涅槃に至り成仏することを目指したのである。

    これに対して、自分だけでなくみんなで幸せになる道を模索しよう
    としたのが大乗仏教であり、こちらが世界各地へ広がっていった。
    三蔵法師がインドへお経を取りに行った話は有名である。
    だが、本当に大変なのは、取りに行くという肉体労働ではなく、
    取りに行った後の翻訳という頭脳労働の方なのだ。

    そうして中国の英知が結集し、仏教が訳されたのである。その後、
    遣隋使を介して日本にも仏教が入ってくることになる。聖徳太子が
    煬帝に舐めた手紙を送り付け貿易へ乗せた神業的外交は有名である。
    仏教を取り入れたのは、元は、国のためという目的であったが、
    行基が伝えたことで、庶民にも仏教が広まり受け入れられていった。


    当時の日本の中枢は奈良で、都は平城京であった。
    しかしその後、徐々に奈良の仏教は腐っていった。その状況に苛立った
    スーパーエリートの最澄が奈良を出て、京都で天台宗を開いたのである。
    この試みに感銘を受けた天皇が、当時の政界のいざこざもあって、
    何もない京都に綺麗な都を作ることにしたのだ。これが平安京である。

    さらにここから宗派が分かれていくことになる。当時の宗教は、
    幸福の追求のみならず、よく分からないことも積極的に取り扱っていた。
    例えば、宇宙は、よく分からない空間だったので「あの世」とされ、
    神様の住む世界として宗教が取り扱っていたのだ。
    ※宇宙が真空で無重力であることを当時の人が知る術はなかった。

    特に、当時の人は、「どうして月は落ちてこないんだ?」ということを
    説明できなかった。だから「霊的な何か」として解釈されたのだ。
    しかしニュートンが、月もリンゴも同じであることを万有引力という一つ
    の概念で説明してしまったため、宇宙は「この世」となったのである。
    今では、宇宙に神様がいないことも広く知られている。

    あれから400年が経ち、「ブラックホールとは何ぞや、重力とは何ぞや」
    と議論されているこのご時世、今だによく分かっておらず、ゆえに
    宗教が取り扱っているものといえば、やはり「死後の世界」であろう。
    ここはまだまだ未知の領域である。

    実際に、葬式の場では無意味にお経が唱えられている。
    誰も意味を理解していないのだから、文字通り無意味なのだ。
    ただ唱えるだけなら、空気の振動でしかないのである。

    読経が終わると、住職は説明として、
    「死んだ人の魂を仏様のところへ送った」などと平気で口にするが、
    寺の坊主にそんな力があるとはとても思えないが・・・。似たように、
    外国では悪魔祓いがある。その一環として悪魔に聖書を掲げるシーンが
    あるが、それは聖書が入ったキンドルとかでも効果はあるのかな?

    時代は進歩しているのだから、宗教も進歩はしなければならない。
    科学のようにまとまる必要はないが、少なくとも進歩は必要なのだ。
    いつかは「死後の世界」も科学が受け持つ時代がやってくるのだろうか。