信頼残高と「与えて与えられる」の原則
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「与えて与えられる」の原則とは、相手に与えれば、
相手は与え返したくなり、やがて与え返そうとすることを意味している。
「与えて与えられる」の原則の反対である
「奪って奪われる」の原則も同様に成立する。
そして「信頼残高」という考え方がある。
※書籍「7つの習慣」より
「信頼残高」とは、コミュニケーションをお金のやり取りと見立てて、
信頼関係の度合いを銀行口座の残高に例えた考え方である。
これにより、お金と同様に、一つの数値で人間関係を測れるようになる。
もし信頼が蓄積されていれば、人間関係は円滑になるが、
逆に借金状態であれば、ちょっとしたことで感情的になる。
失言したとしても、今までの預け入れがあれば相殺できるが、
借金状態であれば、一言間違うだけでも喧嘩に発展してしまうのだ。
では何が信頼の預け入れになるかというと、例えば、
単に相手の話を聞くだけでも預け入れになる。はたまた、
相手が困ったときに助けてあげられれば、より大きな預け入れになる。
逆に、相手の悩みを軽んじたり、馬鹿にするようなことをしていれば、
信頼は大量に引き出され続けてしまう。人間は感情に反応するため、
冷たい人よりも、醜い心を持った優しい人を嫌いになるものなのだ。
自分を育ててくれた両親を嫌悪するのも、そのためである。
そうして信頼残高がなくなれば、会話もなくなってしまうのだ。
このように、信頼の「預け入れ」と「引き出し」で人間関係を捉える
ことで、何はしてよくて何はしてはいけないのかを判別しやすくなる。
もし、相手に対し確実に預け入れになることであれば、相手から何の
反応がなくとも、相手の心の中には確かに預け入れされたのである。
それでももし、預け入れされたことになっていなければ、
それは、「自分は預け入れになると思い込んでいたが、
相手からするとそうではなかった」ということである。
ゴミをプレゼントされて喜ぶ人はいない。
自分からすれば宝物でも、相手からすればゴミなのであれば、
相手は喜ばなくて当然である。しかし、
こういう過ちを人はよく犯すものである。
例えば、誕生日プレゼントと称して、相手にサプライズを企てる。そして
相手のニーズを踏み外す。そもそもサプライズは失敗しやすいのだ。
にも関わらず、相手に対し、感謝が足りないなどと言って
怒り出すのである。そして相手から、信頼残高を引き出してしまうのだ。
こういう醜い心を持った優しい人を、人は嫌いになっていくのである。
相手にサプライズなどしない冷たい人の方が受け入れられるのだ。
それでもサプライズしたいのであれば、相手目線を徹底するしかない。
自分がどうかではなく、相手がどうかで与えなければならないのだ。
「見たいように見る」の原則である。
まず、相手にとって何が預け入れになるかを知らなければならない。
そのためには、相手から相手のことを教えてもらわなければならない。
この「相手を知ろうとする努力」もまた預け入れになる。
ただし、教えてもらうためにはそれだけの信頼残高が必要である。
なぜなら、人は嫌いな人とは会話しようとしないためだ。
ましてや自分のこととなると、喋るわけがないのだ。つまり、
最低限の信頼残高がなければ、相手を知ることもできないのである。
嫌われたら終わりなのだ。
もし、周囲の自分に対する態度が冷たかったり、
ちょっとしたことですぐ喧嘩になるようであれば、
信頼残高が底を尽きかけているのかもしれないのだ。
もし人間関係を失いたくないのであれば、
相手目線になり、自分の行いを反省しなければならないのである。
嫌われる前に。