楽して得したい、それが人間の本質



  • 「ベネフィット」「コスト」「リスク」で考えると、
    人の心の振る舞いが分かりやすくなる。

    まず人は痛い思いをしたくない。
    よって一番に避けるべきはリスクとなる。
    コストに転嫁してまでリスクを避けようとするのだ。

    その上でコストも下げ、ベネフィットを上げようとする。
    コストとベネフィットだと、優先するのはコスト(コストカット)である。
    そうして人は、基本的に楽して得することを考えるのだ。

    例えば職場において、誰かと何かをするとき、
    意見が一致しないことがよくある。一致しないということは、
    自分から見て、相手は正しくないということを意味する。
    「正しさ」とは、基準に対して一致しているかどうかの概念である。
    一致していれば正しいと言い、そうでなければ正しくないと言う。

    そして、人は正しいことを求めているように見える。だが、
    実はそうではない。求めているのは正しさではなく、
    楽して得できることなのだ。もし自分の意見が間違っているとなれば、
    考えを改めなければならなくなる。それはつまりコストを意味する。
    だからこそ人は自分の意見は正しいと主張し、動こうとしないのである。

    よって、自分の考えと相手の考えが違ったときは、とりあえず
    相手の考えを否定し、相手に対し、自分に近づく努力を求めるのだ。
    これは、相手にコストをかけさせることであり、
    相手から「奪う」こと
    を意味する。だからこそ、
    意見が一致しないときは揉めやすく、仲も悪くなっていくのだ。

    もし上司と部下の間で意見が違った場合は、上司の方が強いため
    上司から部下へ、「考えを改め、自分に近づくこと」を求める。そして、
    もし近づけなかった場合は、「こいつは無能だ」と一方的に評価される。
    こういったことは、どこの職場でも起こっていることである。

    上司にせよ、誰にせよ、自分が変わりたくないという理由で
    相手を変えようとする人は、人から嫌われるのだ。
    なぜなら奪う人だからである。キャリアの長い人ほどこの傾向が強い。

    しかし、時代は移り変わっていくわけであり、ゆえに誰もが、
    いつかは時代の基準から外れるときがくるのである。そうなったとき、
    自分の考えを改めず人を変えようとする人は、老害でしかないのだ。

    そういう人は、「悪いことさえしなければ、悪い人にはならない」
    と思い込んで生きている。しかし実際には、何もしないだけで
    周囲から奪うことになるのだ。つまり、何もしない人は「悪人」なのだ。
    ゆえに「奪って奪われる」の流れで貧しくなっていくのである。

    与えているようで実は奪ってしまっている、ということも多々ある。
    例えば、皆平等を求めるのがそれである。会食の場に社長も出席する
    となれば、普通は社長がご馳走してくれるものである。というのも、
    社長はお金持ちなのだから、出費に対する痛みは社員よりも少ない
    わけであり、ゆえに社長が負担すべきだと考えられてしまうためだ。

    もはや仕来りである。だが、社長からすると「奪われた」ことに
    なるのだ。だから基本的に、社員は社長から相手にされないのである。
    宝くじで3億円が当たったと聞けば「100万円頂戴!」などと言うが、
    借金3億円になったと聞いても「100万円あげる!」とは言わない。


    どこまでも楽して得しようとする人たちである。
    どこまでも人から奪おうとする人たちである。