心の変化と因縁果
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心の基本的な作用の一つは思考である。
思考には「決断」や「計算」、「閃き」や「想像」などがある。
「善悪の判断」や「悟り」も、強い感覚を含むものの、思考と言える。
思考するにあたって(自分の中の既存の)知識を利用する。
思考の度に内容が変わるため、加工すると言った方が適切かもしれない。
これら知識により、思考の方向性が定まる。
知識の中には感覚が伴われるものもある。
そして、思考した結果は、知識や感覚の生成である。
思考することによって、深みのある知識や感覚が生成されるのだ。
そこから言葉となり、行動へと発展する。
言葉や行動は、自分の外(概ね他人)に向けて発される。
そうして、外(概ね他人)から、言葉と行動の結果が還される。
このとき、自分がしたこと(原因)に応じて、
自分に還ってくる(結果)、という関係がある(因果の道理)。
例えば、
・善い原因からは善い結果が生じる
・悪い原因からは悪い結果が生じる
・強い原因からは強い結果が生じる
・弱い原因からは弱い結果が生じる
のような関係がある。
つまり、原因と結果の関係は、質と量に関係があるということである。
※ここでは善悪が何かは判断しない。
あくまで方向性として抽象的に捉えるだけに留める。
どうしても分かりにくいなら、
善を変数α、悪を変数βとでもおくと分かりやすくなる。
つまり、
・αな原因からはαな結果が生じる
・βな原因からはβな結果が生じる
ということである。
このことは、日本人に馴染みの深い「日本昔話」で
繰り返し繰り返し説かれていることである。
「はなさかじいさん」でも「こぶとりじいさん」でも、
心がαなおじいさんは結果もαで・・・と説かれている。
下心でやっていると失敗するのである。
原因と結果に加え、間接的に影響する要素もある。
それは環境かもしれないし、確率的な運かもしれない。
そうした要素を「縁」と言う。
例えば、種を蒔けば芽が出て花が咲き実が成る。
このとき、種を蒔くという行為が原因である。対して、
実を収穫できることが結果である。しかし、種を蒔いただけでは
芽は出ないし花も咲かない。土や水や光といった
適切な環境が必要である。この環境が縁に相当する。
むしろ、結果に至るプロセスには縁が含まれているものであり、
直接の原因だけで結果が生じることなどまずない。
よって、「原因」と「縁」で「結果」を捉える。
結果を考えるにあたって、縁も考えなければならない(因縁果の道理)。